ブログ「ナンダロウアヤシゲな日々」引用された文章の補足を書きました。

ミカコです。4月3日のナンダロウアヤシゲさんのブログの、「本を送る」茶話会のためのメモという覚え書きの中に、私から南陀楼さんに宛てた個人的なメールの一部が引用されていて、正直なところ当惑しました。南陀楼さんには、昨日お目にかかった際、一言欲しかった旨、後から削除するのも変なのでそのままでいいですと、お伝えしましたが、文章が下手で、誤解されることも多い身として、自分のことばとはいえ、あのような形で目にすると、なんだか嫌な印象の文章なうえ、何を云いたいのか判然としません。これでは誤解を生んだり、気分を害される方がいらっしゃるかもしれないと心配になってしまいましたので、メールを出した経緯も含め補足させてください。
南陀楼綾繁さんから、被災地に本を送る、という話が進みつつある、とお聞きしたのは、西海孝さんと関口直人さんのライブの打上げの席でした。
震災後最初のイベントで、宮地も私も大変緊張して迎えた、西海孝さんと関口直人さんによる『関口良雄さんを憶う』復刊記念ライブが、おふたりの人柄そのままに、集まった人たちの緊張を解き、優しく温かい気持ちで満たされたことにとても感謝し、昂揚した気分のまま片付けも終わりほっとした翌晩、一杯嗜むうちに南陀楼さんの話を思い出し、妄想がとめどなくふくらみ、深夜のお手紙を出してしまいました。

毎日古本屋の帳場で世間と接していて、震災以降も(こんな非常時に)古本を必要としてくださるお客さまがいらっしゃることが驚きもありましたが、このような時だからこそ本が人々の支えになりうるということに気付き始めていたときでありましたので、身近なところでそのような話が興りつつあることがとてもうれしく、自分一人では大きなことはできないけれど、役に立ちたいと思いました。

また、東京は地震での直接的な被害が少なかったことがありますが、南陀楼さん企画の旧安田邸の音楽会が予定通り開催されたり、初めてのイベントだったあいおいブックラボも目に見えないご苦労があったと思いますが主催者の方たちの踏ん張りで実現させたことなど、周りにいる本に関わる人たちが、とにかく震災以前の生活、活動をできる限り続け、形にすることで、受けた衝撃を負の方向でなく希望に繋げようとしていることが、誇らしかったですし、勇気づけられました。

音の台所さんが作られた、今年の一箱古本市のコピー「わたしたちには〈本〉があります」というのは、まさに今の自分の気持ちが表現されていると思っていて、ほんとうに〈一箱古本市〉とか〈本〉というキーワードだけで、全国の様々な職種、年齢の人たちが繋がり、それぞれが活動し場をつくり、また新たな可能性を広げているというのは、これはこれまでにないびっくりするようなネットワークが出来ているいるのではないかなぁと思っています。

そろそろメールの文章に話を戻します。以下はメールの全文です。

***
差出人: 古書ほうろう
日時: 2011年3月25日 5:41:17:JST
宛先: 河上進 <***>
件名: ミカコです/本の福袋計画


でよかったんでしたっけ?
たのしい計画、実現できるといいですね。

忘れぬうちに思ったことをひとつ。

確か、河北新報に当たってみる、とのことでしたよね?
その際、どこかで火星に庭さん、か、Book!Book!Sendai の名前が出るようにしたら
より地元の人達に親しみがわくかな、とか、これからの彼らの展開に何か役立つかも(偉そですが)などと思いました。

ただ東京から本を贈るというのではなくて、前野さんたちに事前に伝えておいて、
もし彼らが動くことができなくても、せめて名前だけでも、Book!Book!Sendai 宛とかにすると、
一箱から始まったこれまでとは違う形の全国的な本のネットワークが活かせる感じになるな、とも思ったり。


あ、すでにそういう話になっていたら、出過ぎたメールでスミマセン。
「翠」以降、記憶の半分くらい頼りないです。

とりいそぎ
***

全文を載せたところで、飲酒の上のメールに変わりなく、南陀楼綾繁さんの読解力に頼った私信でしかありません。自分なりに何度も書き直した憶えはありますが、こうして読むと恥ずかしい文章です。少しでもニュアンスが伝わるかと思い載せました。すみません。(こんなことになるとは思いもよりませんでした。)

実のところ、私はまだ火星の庭さんにもBook!Book!Sendaiにも行ったことがないのですが、前野久美子さんはほうろうで開催された「古本女子サミット」に来てくださったり、一箱古本市に参加してくださったり、そして私は『ブックカフェのある街』を読み終えて間もなく、ブックカフェの先輩である火星に庭さんに今年こそ行けるといいねと宮地と話していたところでの震災でした。
仙台の状況はtwitterを通しての情報だけでしたので、被害状況などわかりませんでしたし、自分も小さな店を守る身として、たとえ数日でも休業を余儀なくされるということは、死活問題に直結することですから、東京から何かアクションを起こす時には、手を煩わせるようなことにならず、且つ、できれば今後のBook!Book!Sendaiや東北地方の本に関わる活動の可能性を少しでも広げるため、有効な手段となればいいなとの思いから、「名前だけでも」という表現を使いました。
届けられた本の詰まった箱に、同じ東北の仙台の人たちやお店の名前を見たら、避難所の方達にとって親しみがわくのではないかと思いますし、そこから全国に繋がっているということを励みに思ってくれる人がいるかもしれない。
まだまだ時期尚早ですが、届いた本を読んだ人がいつか仙台に行こうと思うかもしれない。時間はかかってもそんなふうにして繋がってゆくといいなぁと妄想したのでした。

長くなってしまって申し訳ありません。とるに足らない私の文章に注目される方は少ないと思います。またこんなふうにほじくることで余計にややこしくなってしまうとも考えなくはないですが、もし不快に思われる方がいたしたら申し訳なく思い、補足させていただきました。
今日まる一日かかってしまいましたが、人に読んでいただくような文章が書けたとは思っていません。あとから読み直して、加筆訂正するかもしれないです。

被災地の復興、避難生活をされている方達のこれからの生活、福島原発放射能漏れ、汚染水の廃棄、近隣の農業、漁業に携わる方々の生活保障、電力不足による生産業、流通の混乱など、自分の小さな世界も全てと繋がっていることが今回のことでよくわかりました。震災以降日本は変わってしまったと思います。これからは、増々生活が厳しくなると思います。

最近お客さんと話していて、そうだな、と大きく頷くことがあったのですが、本にしろ、物資にしろ、家の中の不要なものを送るのもひとつの方法ですが、一歩先にすすんで、買って送る、という方法もあるのだと知りました。支援しつつ経済を動かす、とりあえず被害を受けなかった私たちは、ほんとうに少しでも売上げを上げたり、買物をして経済を回さないと日本は破綻してしまうだろうと危惧しています。経済の源に原発ありきの、これまでを改めるためにも。
被災地に本を贈る時には、往来堂で買うことにしました。

この先どんなふうになるのか、まったくわかりませんが、できる限り町の古本屋として踏ん張りたいと思っています。

最後までまとまりがなく、補足にならなかったかもしれません。お付き合いありがとうございました。