気持ちを込めて売ります

 定休日。

 13時より、先週下見に行った出張買取りの本番。亡くなられた、とある研究者の方の蔵書です。アパートの一室、2Kほどの間取りを占める本また本。古代ギリシア、恐竜、南方熊楠アイルランド江戸川乱歩、同性愛。多岐にわたる研究対象についてのまとまった量の史料に加え、そこから派生していったのだろう、さまざまな領域にまたがる書物、そして楽しみのための海外ミステリやマンガ。それらが他人には未整理としか思えないような状態で、無造作に散らかっています。でも、亡くなられた持ち主の頭のなかでは、すべてが有機的に結びついていたことは明らかで、そのことに思いを馳せると感慨を抱かずにはおられません。

 仕分け作業の合間、弟さんが故人についてぼつりぽつりと口にされます。曰く、「文庫本は絶対新刊では買わない人だった」「入院してから(亡くなるまで)1カ月半ほどだったけど、その間だけでも30冊以上は読んでいた」「(死期を告知されていたにもかかわらず)ベッドの上で目録に印をつけ、買ってくるように頼んでいた」。実際に読み込まれた本を手にしながらそういう話を伺っていると、その人となりが少しずつ浮かび上がってきて、どうしてもしんみりとしてしまいます。人の一生とか死の意味なんてことを考えてしまうわけです。

 ただ、その一方、自分にとってこの買取りが大きな仕事であることも間違いなく、非常に即物的に興奮してもいるのです。珍しい本や、気に入ったものを見つけるたびに「うおー」だの「あー」だの言っているのですから。昨日は自分のこと棚に上げて、やれスマートだのなんだの言ってましたが、まあ、因果な仕事なんですよね。


 20時ちょっと前、手配していただいた軽トラックでようやく店へ。時間をかけ、うち向きの本をかなりシビアに選ばせていただいたのですが、それでも120サイズ見当のダンボールで17箱ありました。残してきた本は、少なく見積もってもそれと同量、おそらくはもっとあったでしょう。
 こういう方の蔵書の整理を依頼された以上、すべてを引き取り、適切に分類し、それぞれをしかるべき方の手に渡すことこそが、古本屋たるもののつとめなのでしょうが、ひとつにはスペースの都合で、もうひとつにはぼくたちの能力の問題で(もっとも不得意とする自然科学系のものが和洋取り混ぜ大量にありました)、それは果たせませんでした。はじめからご承知おきいただいたこととはいえ、申し訳ないです。 
(宮地)