1959年のマンハント

 雑誌「マンハント」の名前をはじめて知ったのは、小林信彦の小説を通して(たぶん『夢の砦』)。でも「ヒッチコックマガジン」や「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」にくらべると馴染が薄く、また、あまり見かけないこともあって、これまでは名のみ知る存在だったのですが、今回はじめてちゃんと目を通すことができました。

 で、どうだったかと言うと、なんだか垢抜けない。ひょっとしたら載っている作品が粒ぞろい、ということはあるのかもしれないけど、ぼくのミステリの知識じゃ太刀打ちできないし(訳者の顔ぶれは錚々たるものだけど)、モノクロのヌードグラビアも野暮ったいなあ、などと思っていたら、4月号あたりから様子が変わってきました。

 すぐには何が違うのかわかりませんでした。はっきりしているのはハダカのおねえさんの写真がカラーになったってことだけど、まさかそれじゃないしなあ、とページを繰っていたら、あるイラストに目が止まって「ああ」と気付いたのでした。こんな絵です。


 このような、かわいらしくも一風変わったタッチの絵が、目次、あとがきといった2色刷りのページや、表2、表3といった目立つ場所に、突如として、しかも夥しく現れれば、まあ雰囲気も変わりますよね。当然「この人は誰?」という疑問も湧いてくるわけですが、クレジットから推測する限り、この人は、


 おおば比呂司


なのです。でも、この絵は、ぼくの知っているおおば比呂司の作風とはちょっと違う気がするんですよね。というわけで、詳しいことをご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。どちらにしてもとても気に入ったので、この人の登場以降は、売値も高くしちゃったのですが。

 写真は12月号の表紙。文字通り取って付けたような帯(といえるのかな)が微笑ましいですが、この号あたりから、今度はロゴを変えたり写真を使ってみたりとまた少し感じが良くなります(イラスト陣には柳原良平の名も)。さらにこの先どうなっていったのかも楽しみですが、とりあえず今回入ってきたのはここまで。

 ともかく、ほぼ50年も前のものにしては、驚くほど保存状態が良いので、美品をお探しだった方は、ぜひこの機会にどうぞ。10月号には植草さんも寄稿しています。石原慎太郎が「アド・リブの文学的表現という困難な主題にぶつかっている」というふうな出だしから、当時のジャズの状況に繋がっていくような話。既読感はあるので、きっと何かに収録されているのだと思いますけど。

 あと、この雑誌、何か引っかかるなあ、と思ったら、広告がまったくないのですね。そのあたりも含めた当時の状況については、下記の日本推理作家協会のページでぜひ。とても勉強になりました。


 “3S”マガジン『マンハント』盛衰史 元編集長中田雅久氏の証言


(宮地)