物語としての面接

物語としての面接―ミメーシスと自己の変容
 心理学、なかでもカウンセリングについての本がまとめて入ってきたので、20冊ほど出しました。本日の品出しにアップするようなものはほとんどなかったのですが、誠信書房などの、版を重ねている本が中心。半分ほどは心理学の棚に並べて、残りは500円均一と「1冊315円、2冊目より210円」の棚に入れました。

 この本も、そのなかの1冊。但しぼくはこっち方面にはとんと疎いため、「おすすめの1冊」というわけではありません。読んだこともないのですから。ただ、この「物語としての面接」というタイトルには妙に心惹かれるものがあり、なんとなくページを開いてみると・・・、こんな書き出しでした。

 クライエントの一人に鉄道マニアの人がいて、「あれは暗いものですが」と自嘲気味にその世界の一端を語ってくれたことを思い出す。


「事実をありのままに言えですって!……」というディドロの言葉の引用こそ直前に入りますが、でもこれが正真正銘の最初の一文。さすがに自分の引きの強さにちょっと苦笑してしまいました。でもきっと、日記の神さまが「まあちょっと読んでみろ」とおっしゃってるのだと思い、そのまま読み進めていくと、

 ただ実際に鉄道に乗りにいくときは目的が明確で、文字どおり時刻表に準拠して行動するのに比べ、面接の場での空間の渉猟は、方向性が自由である。目的地はそのつど定まればよく、また話のなかでは、時空の飛躍はまったくかまわない。もちろん実際の歩行とは違って、方向感覚は少しばかり失われる。癒しが生じるのはこのようなマイルドな方向感覚の喪失が一つのきっかけとなっている。そのような体験は、心の空間を耕し醸成するのに必要な内的空間の境界を確かめる役割をしている。
 しかし自分は人には受け入れてもらえないという感覚に苦しみ、そういう強迫感に追い立てられているとき、内的空間は歪み、縮み、そこにやすらぎを得ることがなくなってしまう。いてもたってもいられず、むやみに動きまわったりする。自己受容感の喪失とは、そのような状態と言いかえることができよう。この青年が旅に出るのは、けっして楽しみからだけではない。職場での評価に苦しむ彼は、何度か無断欠勤をくりかえした。その間ひたすら郊外へとむかう電車に一日中乗り、終電車まで、どこへ行くともなく揺られているという状態であった。
 私たちカウンセラーはとやかくいう前に、その彷徨に同行することがともかくも必要なのだろう。(後略)


とあります。やっぱり心理学の本です。でもちょっといい感じです。

 この一節を書くために「鉄道マニア」の話ではじめたのか、あるいはこの青年の印象の強さがそうさせたのかも興味深いところですが、でも、彼に寄り添い、まるで一緒に旅するようにたくさんの話を聞いたのだろうなあ、ということは伝わってきます。きっと彼がどこかの駅で見たのと同じ風景が、この先生の脳裏にも刻まれているんじゃないかと思わせるほど。そして、ほかの多くのクライエントとも、そのようにさまざまな体験を共有しているのだろうなあ、と。冒頭のエピソードが自分にも容易に想像できるものだったおかげで、いろいろと具体的なイメージがふくらんで、カウンセラーという仕事にちょっとだけ興味が湧いてきました。

 ここに引いた部分だけでは十分に伝わらないかもしれませんが、文章もとても読みやすく(特に、漢字とひらがなの使い分けに共感を覚えました)いくらでもするすると進めていけそうです。仕事にならないのですぐにページを閉じましたが、でも、この人の名前は覚えました。

 森岡正芳

 1954年生まれ。京都大学河合隼雄らに師事し、現在は神戸大学の教授だそうです。もう1冊、みすず書房から出ている『うつし 臨床の詩学』という本も出しました(お値段等はこちらを)。

 こんなふうに、まったく自分の守備範囲ではない本に突然出会う、というのは、古本屋の面白いところだと思います。でも、ほんとのところ、最初にタイトルを目にしたときは、就職試験なんかの面接だと思って、貧しい想像をあれこれたくましくしたのですけどね。

(宮地)