ポレポレ東中野で『アルプス・バラード』

 昨日の話。

 出勤してもしなくてもどっちでもいい日だったのですが、夕方から2時間ほど働きました。出した本で一番面白そうだったのは『定信お見通し』タイモン・スクリーチというイギリスの学者による、新しい松平定信像(建築模型マニアだったそうですよ)、とのこと。訳者は高山宏なので、まあ内容については太鼓判押されているようなものですが、最近こういう本がとんと読めなくなりました。時間がないわけではないのですが、集中力に問題があるようで。まあそれはさておき、これも含め歴史の本を10冊ほどと、あとは安い本をタンタンタンと出しました。で、それからミカコと待ち合わせて東中野へ。

 ポレポレ東中野では、2月2日から15日まで、昼間は『いのちの食べかた』、モーニング&レイト・ショーで「”食べる”映画特集」という、大胆なプログラムが組まれています。映画館へ下りていく階段には、ここのオーナーでもある本橋成一氏の屠畜の写真や、内澤旬子さんの『世界屠畜紀行』からのパネルなども展示されていますし、トークショーもまだ2回あるようです。

 さて、今宵のプログラムは、1996年のスイス映画『アルプス・バラード』。ミカコにくっついていった格好で、ほとんど何の前知識もなしに観たのですが、これが素晴らしい作品でした。アルプス地方の、ある酪農一家の一年の暮らしを追いかける、ただそれだけの映画なのですが、観終わったあとの、曰く言い難い余韻は、ちょっとほかにないものです。

 ひとつひとつの場面、たとえば、早朝の石畳の上を牛や羊たちとともに歩いていく一家の様子とか、お祝いごとかなにかの際に身に纏う巨大なカウベルや不思議なお面とか、あと、たびたび目にする、親子お揃いの、細かい意匠が施された頑丈そうな革のサスペンダーなども記憶に残っているし、そんなさまざまシーンをとらえる映像もとても美しいものです。でもこの独特の叙情をつくりあげているのは「音」、そんな気がしました。

「音」といっても、この映画には、いわゆる「音楽」と呼ばれるようなものは流れません。いや、それどころか、ナレーションの類いもまったくなく、言葉も家族が交わすわずかな会話ぐらい(一箇所、一家の主人がスイスの酪農がおかれている状況を語る場面はありましたけど)。とにかく説明的なものはほとんど排されています。よって「音」というのは、そもそもそこにあるものです。搾った乳を大鍋で攪拌する音、革をはさみで切る音、牛が下痢のうんちをする音、木を削って人形にしていく音。そしてなかでももっとも印象に残るのが、放牧のため移動していく際の、何種類ものカウベルと、家畜たちの蹄の音。この美しくも心地よい響きに浸るためだけでも、観る価値のある作品です。

 たぶん今回観なかったら一生観なかっただろうけど、だからこそ、この出会いを大切にして、またこの監督の作品を観てみたいですね。名前はエリッヒ・ラングヤール。忘れないようにしないと。

(宮地)