ジャック・ドゥミの『ローラ』


 今週の土曜日(1/31)から、シネセゾン渋谷で『シェルブールの雨傘』と『ロシュフォールの恋人たち』のデジタルリマスター版がロードショー公開されます。
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 一番美しかった頃のカトリーヌ・ドヌーヴがヒロインを演じる、監督ジャック・ドゥミ&音楽ミシェル・ルグランの黄金コンビ全盛期の2本。『シェルブール』は間違いなくぼくがもっとも好きな映画の1本ですし、『ロシュフォール』もそのサントラ盤を聴いてきた時間を合わせたら優にひと月を超えるでしょう。なので未見の方にはぜひこの機会にご覧いただきたいのですが、ただどちらもよく知られた作品ですし、特に『シェルブール』は「台詞がすべて歌」という独創的なスタイルもあってつとに有名。主題歌のメロディを耳にしたことのない日本人などほとんどいないはずで、ぼくがことさら喧伝する必要などなさそうです。でも『シェルブール』の前日譚にあたる『ローラ』という作品のことを知る人は、それほどたくさんはいらっしゃらないんじゃないでしょうか。


 ドゥミ監督の長編第1作である『ローラ』をはじめて観たのは、1992年の1月17日のこと。どうしてこんなに細かく記せるかというとロードショー公開の初日に行ったからで、ユーロスペース最前列の隣の席にはおすぎさんがいらっしゃいました。そして何でまたそんなに勢い込んで出かけていったのかといえば、当時愛読していた雑誌「シティロード」に筒井武文氏による心のこもった評が載っていたからで、そこにはこんなことが書かれていました。

100回以上見た『シェルブールの雨傘』こそ世界一美しい映画だと信じながらも、ジャック・ドゥミの1本を選ぶのにためらいを覚えるのは、13年前一度だけ見た『ローラ』の記憶があるからだ。

 当時も今も『シェルブール』を100回以上見た人の言葉なら、ぼくはたいていのことは信じると思いますが、このときもそうで、おかげでこの日は20代におけるもっとも重要な幾日かのひとつになりました。それまでのぼくは『シェルブールの雨傘』こそ大好きでしたが、それ以外にはドゥミのことをあまりよくは知りませんでした。それが『ローラ』を観たことにより『シェルブール』の世界がより奥行きのあるものとなり、それはすぐにドゥミという人全体への興味へと広がっていきました。それぐらい、このふたつの作品は繋がっているし、そのなかにはこの監督のエッセンスが詰まっているのです。


 ここ10年ほど自宅で映画を観る習慣がすっかりなくなってしまったため、『シェルブール』も最後に観たのが3年前の早稲田松竹ロバと王女』との2本立てという体たらくですが、その代わり、傘がくるくる回るオープニングから雪のガソリンスタンドでの終幕までのすべてが収録された2枚組のCDは店でよくかけます(たぶん一年に30回くらいは)。もう音を聴くだけですべてのシーンが浮かんでくるので、それで十分だったりもするのですが、そんななか、マルク・ミシェル扮する宝石商のローラン・カサール氏が登場し、♪むかし、愛したひとがいました、ローラという名の・・・、と歌いはじめると、いまでもかならず気持ちが沸き立ちます*1。なぜなら、そこでは髭を生やし貫禄のついたカサール氏と若き日の鬱屈を抱え込んだローラン青年とが重なり、『ローラ』のなかのさまざまな場面が鮮烈に甦ってくるので。
 海岸沿いをオープン・カーで飛ばすカウボーイハットのイカした男、午前の陽光が差し込む閉店後のキャバレーでの踊り子(アヌーク・エメ)の歌、階段の手すりをするすると滑っていく水兵さん、古く重厚な映画館でニアミスする男女、祭りの日の遊園地の雑踏、それにもちろんあの雰囲気のあるアーケード。ドゥミ監督が生まれ育ったナントの町が美しいモノクロ映像でとらえられたそれらのすべてのカットは、やはり特別なものです。


 ぼくたちの世代のジャック・ドゥミ・ファンが幸運だったのは、誰しもが『シェルブール』を観てからおそらくはそれほどの間をあけずに『ローラ』に出会えたことでしょう。たとえばいまの自分がこのあと十何年たってようやく『ローラ』を観たとしても、これだけの思い入れは持ちようがありません*2。しかも、そうして興味に火が付いたところに、ユーロスペースが作成したこれ以上ない素晴らしいパンフレットが与えられ、さらに岩波ホールでは、夫人であるアニエス・ヴァルダの撮った『ジャック・ドゥミの少年期』も公開されたのです。そうしたすべてがその前々年のドゥミ監督の死によってもたらされたというのはあまりにも皮肉ですが、でも未知の作家と出会うもっとも大きなきっかけはやはりその死だったりするんですよね。これは仕事柄よく感じます。

 
 さて、そんな『ローラ』が、明日(1/28)から1週間だけレイトショーでかかります(「ジャック・ドゥミ セレクション」と題された関連企画の1本として。『ロバと王女』以外はなかなか観る機会のない作品ばかりですが、ぼくは『天使の入江』が楽しみ)。こんなチャンスはめったにないので、ぜひ『シェルブール』『ロシュフォール』と合わせてご覧ください。また、「『シェルブールの雨傘』が大好き」という話をするとなんとも微妙な表情をされるみなさんへ声を大にしてお伝えしますが、大丈夫、『ローラ』の台詞は歌ではありません。そういう意味では100パーセント普通の映画ですのでご安心ください。

ジャック・ドゥミ セレクション』

  • 期間:1月24日(土)〜2月13日(金)
  • 時間:21:05〜(連日)
  • 場所:シネセゾン渋谷

上映スケジュール
ロバと王女』 1月24日(土)〜1月27日(火)
『ローラ』 1月28日(水)〜2月3日(火)
『モンパリ』 2月4日(水)〜2月6日(金)
ベルサイユのばら』 2月7日(土)〜2月10日(火)
『天使の入江』 2月11日(水)〜2月13日(金)


 最後にもうひとつ大事なことを。もし『ローラ』をご覧になって「パンフレットが欲しい」と思われた方、若干ですが古書ほうろうに秘蔵の在庫がございますので、メールにてお問合せください。1部1050円です。今回はじめてジャック・ドゥミに興味を持たれた方にとって、これはこの上ない道しるべとなるはずです。それと、公開当時のチラシを今回のポスターと並べて店の扉に貼りました。お近くの方はお立ち寄りのうえ眺めていただけるとうれしいです。

(宮地)
シェルブールの雨傘 オリジナル・サウンドトラック完全盤

*1:この曲は『シェルブールの雨傘』のなかでたぶん主題歌に次いで有名な旋律ですが、もともとは『ローラ』での曲。後に英語の歌詞が付けられ、いまではその「Watch What Happens」というタイトルでのほうが知られてます。

*2:『ローラ』は1960年の作品。本国フランスではもちろんすぐに公開されたのですが、日本では30年以上観られませんでした。