娯楽の殿堂 水族館劇場へようこそ

 『Noir 永遠の夜の彼方に』2週目。
 演る方も観る方も手さぐりという感があった開幕週にくらべると、相当仕上がってきました。木曜日(6月5日)からの最終週がはじめて、という方も多いでしょうから、あまり立ち入ったことは書きませんが、でも少しだけお話しすると。


 まず、これまでに一度でも水族館をご覧になっていて、もうすっかりその虜、待ち遠しくてたまらないという方へ。
 大丈夫、今年もあの偉大なる様式美は健在です。さらにスケールを増した屋外でのプロローグ。マディ山崎の手になる「いつもとは違ういつもの旋律」。そして唄の途中、巨大テントの陰からは・・・というお馴染みの展開がみなさんを待っています。客席へ移動し幕が開くと、そこにはあのつくり込まれた舞台美術が。いつもながらの素晴らしいできばえで、これが見たくて毎回来る、という人も多いですよね。幕間の山谷の玉三郎ワンマン・ショーを挿んで物語は佳境へと向かい、そしていつものクライマックス。これぞ、水族館劇場です。


 また、まだ一度も水族館をご覧になったことのない、でも観るべきか否か迷っているという方へ。
 みなさんはあるいはこんなふうに思ってらっしゃるのかもしれません。「面白そうだけど、話が重たいんじゃないの?せっかくの休みにどんよりした気分になるのはちょっと」とかそういうことを。なるほど、その印象はあながち間違ってはいません。強制連行された朝鮮人が働かされる海底炭坑、なんてものが出てくるの芝居のテーマが、軽いものであるわけありません。でも、にもかかわらず、水族館劇場はまず第一に娯楽の殿堂なのです。帰り道、お客さんたちから開口一番出てくるのは、「楽しかったね。すごかったね」という台詞。なにはともあれ、ぜひ一度ご覧ください。


 作・演出を手がける桃山さんの思いは、そんなワクワクする舞台のなかにしっかりと息づいています。ときにそれは物語としてはまっすぐに自分のなかに入ってこないかもしれません。大スペクタクルに圧倒されすべてが吹っ飛んだ、なんてことは決して珍しいことではなく、というか、ぼくなんていつもそうですし。でもご心配なく。興奮しながら観たなかのいくつかのかけらは、知らず知らずのうちそれぞれの人のなかに入り込んでいきます。何かを考える、あるいは何かを思い出す種として。
アイヌ神謡集 (岩波文庫)
 たとえばこんなことです。4年前、やはり大観音でぼくは『大いなる幻影』を観ました。今となっては詳しい筋は忘れてしまいましたが、でもそれ以来、アイヌについて考えるとき、必ずあの公演のことが浮かびます。ラバのノンノ号の傍らにすっと立つ千代次さんの姿と、その背後で繰り返しささやかれる「Shirokanipe ranran pishkan, Konkanipe ranran pishkan.」というフレーズとが。誤解を恐れず言えば、たぶんこれがぼくにとっての『アイヌ神謡集』となったのです。「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」。何かの拍子にそんなアイヌの言葉を口ずさむ自分がいるというのは、なんだか不思議なことですが。


 あと、そう。もちろん「大観音に汚いテントが建って、なかには襤褸をまとった人たちがいる」というような印象を抱いている人もいらっしゃるでしょう。そういう方々がこのブログを目にする可能性がきわめて低いのは承知してますが、もしご覧になっているようでしたら、これも何かの縁です。きっとお近くにお住まいでしょうし、ぜひ一度、19時からのプロローグをそっと覗いてみてください。大きな声では言えませんが、それだけだったらお金も要りません。そして「なんだか面白そう」と思ったら、入場料を払ってテントのなかへお入りください。2時間後そこを出るときには、きっと誰かに話したくて仕方なくなっているでしょう。ぼくたちの願いは、もっともっとそういうみなさんに観ていただくことです。だって水族館劇場の小屋が建つことは、この地の誇りなのですから。


 では、みなさん、最終週の公演でお会いしましょう。

(宮地)