50年前の音楽会

 3週間ほど前から、ショーウインドウで昔のクラシック・コンサートのパンフレットを展示販売をしています。かれこれ50年ほど前、たぶん「コンサート」ではなく「音楽会」と呼ばれていた、よき時代のものです。戦争が終わってまだ10年も経っていないこの時期にこれだけの面々が来日していたということは、知識としては知っていたものの、その証拠をこうして並べてみるとやはり驚きです。そして羨ましい。なかでもうっとりしてしまうのは(東京に限ってではあるのですが)そのプログラムの多彩さ。今現在のように「今年はこのレパートリーで世界中を廻ります」というのではなく、「観光も兼ねて日本でゆっくりしましょうかねえ」という雰囲気があり、そのなかでなるべくたくさん自分の姿を見せてくれようとしていたのではないかと感じます。

 以下、それぞれのパンフレットを概ね年代順に紹介していきますが、そんなわけなので、簡単なデータ以外は「自分ならどのプログラムを聴きたいか」という妄想を中心にお話ししようと思います。本当はパンフレット本体の素晴らしい装幀や、それを手掛けたデザイナーについても言及したいのですが、残念ながら、それについて語るにはぼくの知識が乏しいため、署名があるものについてそれを記すにとどめます。そちら方面に詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひご教授ください。

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*ラザール・レヴィ(1950.11/4,5 日比谷公会堂

 今回の展示したなかで、最初に行われたのがこの公演。このパンフレットを手にするまで、ぼくはこのピアニストのことを知らなかったのですが、調べてみると、長らくパリ音楽院で教えられていたとのことで、日本の音楽史的には重要な方のようです。ただ、録音を聴いたこともないので、あまり書けることがありません。サンフランシスコ講和条約が1951年ですから、まだ占領下。パンフレットの紙質の悪さからはそういう時代背景が伺えますが、早くも外国から音楽家から来ていたのは驚きです。


諏訪根自子&原智恵子(10/26,27 帝国劇場)

 日付は記載されているのですが、年が書いてありません。たぶんもう少し後の公演だとは思うのですが、原智恵子はレヴィ教授の弟子にあたるそうなので、ここに置きました。おふたりの「東宝藝術家」という肩書きがなんだかすごい。
 原智恵子は「日本におけるクラシック音楽の歴史」みたいな話ではよく登場するピアニストで名前だけは知っていましたが、その演奏については残念ながら知りません。今回調べてみて驚いたのは、ムッシュかまやつでもおなじみの、かの有名なイタリアン・レストラン「キャンティ」と縁のある方だということ(最初の結婚相手がその創業者で、現オーナーは息子だとか)。
 ヴァイオリンの諏訪さんも名のみ知る存在ですが、プログラムにはフランクのソナタも含まれており、楽しみです(あとは、ドビュッシーベートーヴェンの9番)。


*エフデイ・メニューヒン(1951.10/13.14.20.21 日比谷公会堂ほか/朝日新聞社

 初来日。前半の京都、宝塚での公演も含め、すべてコンチェルトの演奏会で、オケは近衛秀麿指揮NHK交響楽団。東京で聴ける3つのプログラム(21日はマチネありの昼夜公演というのがビックリ)のなかでは20日モーツァルト(4番)とブラームスの日が希望といえばそうなのですが、「何が聴きたい」というほどメニューインという人の演奏を知らない、というのが実情だったりもします。もちろん聴いてはみたいのですが。

 前年のレヴィのものに比べると、パンフレットの紙質は断然良くなっていますが、これはメニューインという名前の力なのでしょうかね。





*アルフレッド・コルトー(1952.10/23,24,11/5 日比谷公会堂朝日新聞社) 
 ご本人が「長年の希望が達せられ、いよいよ近く日本の高い芸術的社会的教養と、あこがれの風土とを親しく見聞出来ることに大きな期待を寄せています。」というメッセージを寄せているので、初来日ですね。いま調べたら、このとき日本のレコード会社に吹き込んだ音源も発売されているようです。プログラムはD、E、Fとなっているので、きっと他にも演奏会はあったのでしょう。オール・ショパン、オール・シューマン、あれこれという3種類ですが、やっぱりコルトーですから10月23日のショパンを聴いてみたいですね(3番のソナタとバラード全曲、いくつもの小品)。

 表紙は、「K.SAITO」というサインの方によるもので、貝の絵がとても良い雰囲気を醸し出しています。そしてそれを開くと登場する御大の写真!その顔に刻まれた年輪には感銘を受けずにはおられません。余談ですが、1953年秋にソロモンが来日する旨の告知も出てます。


*ジョゼフ・シゲティ(1953.4/6,7,8 日比谷公会堂/上田仁指揮 東京交響楽団毎日新聞社

 ここ数年来、もっとも気に入っているヴァイオリンのための曲は、プロコフィエフの協奏曲第1番。テレビで五嶋みどりが弾いているのを観たのがきっかけでした(指揮はヤンソンス)。シゲティさんは、初演者でこそありませんが、友人の作ったこの曲をことあるごとに演奏し、その普及に尽くした人です。

 掲載された、シゲティ本人によるエッセイによると、3度目の来日とのこと。「二十年前私が来たときの日本といまと比べて一番変った印象は日本全体が実に急速にアメリカナイズされたこと。戦争に敗れたことが、大きな原因には間違いないでしょうが、やはりよい面は取り悪い面は捨てる日本人としての自覚が望ましい。」と書かれているので、1933年にも来られているようですが、それが初めてだったのか2回目だったのかはわからないですね(ネット上にこういう記事がありました。2回目のようです)。後述するようにバックハウスのパンフレットにも寄稿されてましたし、シゲティさんは文章書くのがお好きだったんでしょうか。日本の聴衆を褒め讃え、政府の文化政策について苦言を呈していますが、印象に残ったのは「日本の旅先でゆっくりした全然窮屈さの感じられない丹前を着ていると、こんな気楽でいいキモノは世界にないと思います」というくだりでした。これまで「シゲティ」という名前にはとても厳めしいイメージが付きまとっていたのですが、随分感じが変わりました。

 さて、このパンフレットは、東京でのコンチェルトの会だけを集めたもので、それ以前にも、いくつものリサイタルがあった模様。東京交響楽団第53回定期、およびF、Gという3つのプログラムの中で選ぶとしたら、ブラームスとベートヴェンを両方やる4月8日ですかね(と思っていたのですが、あれこれ調べてみたら「1953年の来日公演にて、会場で親友のプロコフィエフの死去を知らされ、急遽演奏曲目をプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番に変更し、さらに最後にアンコールで同曲の第2楽章スケルツォを弾いたエピソードは著名。」という記事がWikipediaに載ってました。出典は記されていないので確認はできていませんが、もし本当だとしたら全日行くしかありませんね)。

 あと、音楽とは全然関係ないですが、アサヒビールの広告のなかの、ビールのジョッキがヴァイオリン弾いてる絵がとってもユーモラスでチャーミング。今だったら消費され尽くしちゃうんじゃないかと思われるこの「ビールくん」。誰が描いたんでしょう。


*ジョゼフ・シゲティ(1953.3/30,31 日比谷公会堂/伴奏:ブソッティー毎日新聞社

 こちらは東京でのリサイタルのパンフレット(「ビールくん」はこっちにもいました)。プログラムはDとE。知らない曲も多く、甲乙付けがたいのですが、あえて選べば30日のDプロ。特に最後に演奏される、シマノフスキー『アレトゥーザの泉』、スクリアビンシゲティ編曲)『三度の練習曲』、ストラヴィンスキーペトルーシュカ」よりロシア舞曲、というのが興味深いです。吉田秀和さんの「壮麗と峻厳−シゲティ第一夜を聴く」という文章が載っているのがうれしい。それによると、最初の夜(3月5日)も日比谷公会堂で、バッハのシャコンヌシューベルトラヴェルバルトークという流れだったようです。だとしたら、この日が一番聴いてみたいですね。

 吉田秀和さんの文章は、翌日の毎日新聞の朝刊に掲載されたものだそうですが、とても素晴らしいので最初の部分のみ引用しておきます(こんな文章を終演後せいぜい数時間で書くなんて!)。

 20年前にも私はシゲティをきいた。日比谷の公会堂の一番てっぺんの席だった。そうして私は高等学生だった。音の細かな印象というものはどうしてその時の感激に比べて消えやすいのだろうか?私が若くて音楽をきくのに非常に未熟だったからかも知れないーー今だって未熟なことに変りはないけれども。あの時私はひどく疲れた。そうして感激はそれより強く烈しかった。
 今夜も同じである。感激はものを書くのにふさわしくない状態であるだろう。だが感激を失うように、薄めるように努力した末に来るものが、必ずしも本当に冷静で慎重な状態であるとは限らない。むしろ感激の中で慎重を学ぶこと心の底から深くゆすぶられていてしかも目ざめていること、私にはこれこそこの上なく好ましい。


ブダペスト弦楽四重奏団(1954.3/12,13 日比谷公会堂日本放送協会

 驚愕の1954年、幕開けはブダペスト・カルテットの2度目の来日(前回は1952年)。個人的にはルドルフ・ゼルキンと組んだブラームスシューマンの録音が印象に残っているのですが、それよりずっと前のできごと。このパンフレットは2月からの滞在の最後を飾るフェアウェル・コンサートのもので、弦楽器の意匠による表紙のデザインが目を惹きます。プログラムにはドビュッシーが入っていたりもするのですが、巻末に掲載されている他の演奏会の評を読むと(山根銀二ほか)、この来日のハイライトは2月の18日から3日連続で行われたベートーヴェン・チクルスだったようです。


*ウィルヘルム・バックハウス(1954.4/9,10,23 日比谷公会堂毎日新聞社
「鍵盤の獅子王」初来日。「日本の音楽愛好家の音楽に対する理解力、鑑賞力そして芸術家に対する厚意については、私の親友ジョゼフ・シゲティ氏等から熱心な話を聞いています。」という本人のコメントとともに、ここでもシゲティさんが文章を寄せています。曰く、「彼は人間が到達出来る最高のテクニックを備え、その豊かな音色は金の玉をころがすごとくにさえわたり、軽妙なタッチは”人間の手”というよりなにか神秘的な神わざのなせるところといった感を与えました」。金の玉って・・・。訳のせいもあるのでしょうけど、なんともいえない表現だなあ。

 さて、3日間すべて違うプログラムで、どの日に行くか迷うところです。ブラームスの作品117や119の間奏曲を含む9日も魅力的ですが、やはりバックハウスと言えばベートーヴェン。オール・ベートーヴェンの10日ということにしておきます(作品10の1、57、81のa、111)。23番と32番が両方聴けるなんてうれしい。パンフレット内の告知によると、5/2-3にもリサイタルとコンチェルトの会があった模様なのですが、コンチェルトは何をやったんでしょう。たぶんベートーヴェンなんでしょうけど、もしブラームスの2番の協奏曲だったとしたら、卒倒もの。案外モーツァルトかもしれないけど。


ヘルベルト・フォン・カラヤン(1954.4/14,15,16 日比谷公会堂NHK交響楽団日本放送協会

 ご存知カラヤン初来日の巻は、N響の定期です。で、このパンフレットは第356回定期とその翌日の臨時公演のもの。前半はベートーヴェン。『エグモント』序曲で幕が開いたとおもったら、次はいきなり『運命』!!!。後半は、ソリストパウル・クリングを迎えてのモーツァルトのコンチェルト5番と『展覧会の絵』!。カラヤンらしいといえばほんとそうなのですが、なんだか強烈なプログラムで、お腹が張っちゃいそうです。カラヤンはこの後、4月21日のチャイコフスキーの6番がメインの公演(復刻CDあり)をはさみ、5月の連休明けには3日連続(7、8、9日)で第九を振って帰っていったようです(告知はここまでしかないけど、きっとそうでしょう)。うーん、恐るべき男。

 ところで、今回紹介しているパンフレットの主役たちのなかで、唯一実演に接したことがあるのがこのカラヤンです。小学生のとき、大阪フェスティバル・ホールで聴きました。新大阪の駅とか、ホールの様子などはとても鮮明に憶えているのに、演奏についてはなんも思い出せません。まあそれを克明に記憶しているようだったら、今頃古本屋をしてるってことはないのかもしれませんが。


*ヤーシャ・ハイフェッツ(1954.4/18-5/28 日比谷公会堂、帝国劇場ほか/朝日新聞社

 ハイフェッツ氏日本縦断の旅。北は札幌から南は福岡まで8都市15回の演奏。仙台や下関にも立ち寄っています。震災直後の1923年(帝国ホテル演芸場!)、1931年に次ぐ、3度目の来日。東京では6つのプログラムすべてを聴くことができたわけですが、4月22日、日比谷公会堂での公演に行きたいと思います。前半がフランクのソナタ(ピアノ:エマヌエル・ベイ)とモーツァルトのコンチェルト5番(指揮者およびオーケストラ記載なし)、後半がバッハの無伴奏シャコンヌと小品あれこれ。黄色の地に黒でHEIFETZと書かれたパンフレットのデザインがかっこいいです。

 さて、ここまでの日付を詳細にご覧になった方にはすでにおわかりでしょうが、この年の4月から5月にかけて、バックハウスカラヤンハイフェッツという御三方は同時に日本に滞在しています。主会場である日比谷公会堂の4月について書き出してみると、こんな感じ。

 4月9日 バックハウス
  10日  〃
  14日 カラヤン
  15日  〃
  16日  〃
  20日 ハイフェッツ
  21日 カラヤン
  22日 ハイフェッツ 
  23日 バックハウス

 どうです。まるでサントリー・ホールみたいじゃないですか。今ならともかく、この時代にこんなことが起きていたなんて、ねえ。全部招聘元が違うので、張り合ったということなんでしょうけど、クラシック好きはお金がいくらあっても足りないようなもんです。もっとも、この頃は「貧乏なクラシック・ファン」というのはごく少数だったのかもしれませんが。


ヴィルヘルム・ケンプ(1954.11/24 東京体育館/上田仁指揮 東京交響楽団

 59回目の誕生日を翌日に控えたケンプさんの告別演奏会(この「告別」がどういう意味なのかは謎)。ケンプさんは長生きされたし(1991年没)、数えきれないほど来日しているので、これが何回目の来日で、というようなデータは省略(というか調べる根気がなかったです)。プログラムはすべてコンチェルトで、バッハ(イ短調)、モーツァルト(K.466)、ベートーヴェン(5番)。ぼくの、まったく個人的な印象でしかないのでしょうけど、ケンプさんには独奏曲を弾くイメージが強いので、(コンチェルトを演奏しないなんてことはあり得ないのだけど)ちょっと意外な感じ。弾くにしてもベートーヴェンだったら4番じゃないの、みたいな(4番しか弾かないなんてことももちろんあり得ないのだけど)。


ダヴィッド・オイストラッフ(1955.2/23-3/14 日比谷公会堂、共立講堂ほか/伴奏:ウラジミール・ヤムポリスキ−/読売新聞社

 初来日。東京以外にも、名古屋!京都、大阪、福岡で演奏されています。東京では5種類のプログラムが聴けたわけですが、一晩だけなら迷うことなくプログラムA。2月25日の日比谷公会堂でのコンチェルトの夕べ。なんと言ってもプロコフィエフの1番が聴けるのが楽しみ(ほかは、モーツァルトの5番と、チャイコフスキー)。でもよく読んでみたら但書きにこんなことが書いてありました。曰く、「但し東響との共演はプロコフィエフNo.1を除外し、ベートーヴェン作曲『コリオラン』序曲を加える。」。あらまあ。Aプロのもう一日は3月1日の大阪歌舞伎座公演。どちらが近衛秀麿指揮近衛管弦楽団で、どちらが上田仁指揮東京交響楽団かはどこにも記載されていないのですけど、東響が大阪まで出張っていくというのはちょっと考えにくいので、どうやら大阪まで行くしかないようです。まあちょっと遠いですが、2年前に聴いたシゲティの余韻とともに、行ってこようと思います。「つばめ」に乗れるのも楽しみですしね。

 あと気になるのは、オイストラフさんはこの来日の際に吹き込みも行っているのですが(CDで復刻されています)、そこでの演奏曲目に、ファリャの『七つのスペイン民謡』からの「ホタ」が含まれていることです。プログラムには含まれていませんが、これはいわゆるアンコール・ピースですから、きっとどこかで演奏したことでしょう。それもぜひ聴いてみたいです。

 パンフレット本体についてですが、「R.Yamashiro」というサインがしてあるので山城隆一さんの仕事のようです。落ち着きのある、よいデザインだと思います。あと、このパンフは字も多くて、曲目解説以外にも、別宮貞雄、寺西春雄、井上頼豊、秋山邦晴という方々のエッセイが掲載されています。


*シンフォニー・オブ・ジ・エア(1955.5/3-22 日比谷公会堂神奈川県立音楽堂ほか/毎日新聞社日本放送協会

「こんなオケの名前聞いたことない」と思ったら、トスカニーニ亡き後のNBC交響楽団のことだそうです。今回初めて知りました。指揮者も知らない人で(ウォルター・ヘンドル、及びソーア・ジョンソン)あまり興味は持てなかったのですが、ある年齢より上のクラシック・ファンにとっては、「初の海外オーケストラ来日」ということでモニュメンタルな出来事だったようです。

 しかし、この装幀!。2年前のバックハウスも手掛けた、「Mizu」というサインの方の手になるものですが、美しいとしか言いようがありません。今回展示したなかで、ぼくは断然これが好き。指揮棒を持つ手をあしらった表紙だけでなく、人に似せた踊る音符のイラストや、公演場所を丸で記した日本地図など、内部の隅々に至るまで、この人のセンスが充溢していてため息がでます。デザインに興味のある方は、ぜひ一度ご覧ください。

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 以上、冗漫な文章にお付合いいただきありがとうございました。ミカコが写真をアップしてからはや3週間以上、早く書かねばと思いながらも筆進まず、延び延びになっていたのですが、ようやく形になりました(というほどのものでもありませんが、まあとにかく。詳細な写真も近日中に公開します)。この間、近所の通りすがりの方、たまたま来店されたデザイナー、写真を見てわざわざ来てくださったお友達などなど、様々な方にこれらのパンフレットを見ていただくことができ、古本屋冥利に尽きる思いです。「オイストラフのこの公演はぼくも聴きに行ったんだよ、背筋をすっと伸ばして弾く人だったなあ」などという、羨ましすぎる思い出話をされるおじいさんにもお会いしました。しかし、「せっかくなので、年内いっぱいぐらいこのまま展示しておこうかなあ」などとも思いはじめた矢先の昨日、とうとう一括で買ってくださる方が決まりました。よって、この展示は11月20日(火)までとさせていただきます。残り1週間ほどですが、興味のある方は、ぜひご来店ください。

(宮地)