「芥川龍之介」作品 読む、踊る、奏る

 或日の暮方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男の外に誰もいない。唯、所々丹塗りの剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男の外にも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子がもう二三人はありそうなものである。それが、この男の外には誰もいない。 (『羅生門』冒頭より引用)

 
 というわけで、新春「芥川龍之介」の演目は『羅生門』に決まりました。
 薄気味悪く、息苦しい、という学生時代の印象を引きずりつつ、イベントに向け今改めて読んでみると、情景描写の巧みさにも目を見張りますが、胸を抉られるような心理描写は子どもの頃にはわからなかったなぁと、作品の奥深さに遅まきながら気づいたりしてます。23歳の芥川に、やっと自分の精神年齢が追いついた、というところなんでしょうか。
 薄気味悪く、息苦しい世界も、読む分には嫌いでないので、ちょうど今の自分に、読み頃なのかもと思い、ほかの作品も少しずつ読み始めています。芭蕉の臨終に立ち会う弟子たちの微妙な心の動きを見透かしたように書き分け、それぞれ個性を見事に浮き彫りにした『枯野抄』など、冷静な観察眼がかなりいじわるでいいです。


 先日、「踊る人」オオナカ エイジさんが見え、照明の打合せなどしました。「読む人」「踊る人」「奏る人」の3人で初合わせも済み、朗読に踊りをあわせるのは初めてだそうで、創り上げていく作業がとても新鮮で楽しいですと仰ってました。早く観たいです。

(ミカコ)