特急草津号

 尾久駅の手前、しばし休憩をしている通勤型車両や『カシオペア』号の向こうに、一仕事終えた『北斗星』号が赤いディーゼル機関車に引かれて戻ってくるのが見える。今日は少し遅刻気味なのでいつもと違うものが見えるなあ、やっぱり動いているブルートレインはいいなあ、などと思いながらゆっくりと自転車をこいでいると、駅を通過していよいよスピードを上げはじめた特急型の編成があっという間にすれ違っていく。テールマークを確認すると『草津』号だ。ああ寒い、あれに乗って今すぐ草津に行きたい、でもお客さんの少ないこと、あの車両の塗装ほんとヒドいなあ、JR東日本ってほんと鉄道に愛がないよなあ、などといったあれこれが一瞬のうち頭のなかに浮かんでは消え、そしてそのなかでひとつだけ、草津温泉のことが残る。

 草津に行ったのは2004年の秋のこと。当時のほうろうでは「いつでも好きなときに休暇をとってOK」ルールがまだ健在で、いつもだったらぼくもミカコもまず海外へ行くことを考えるのだけど、ちょうどその年はぼくのアトピーが進行していたことなどもあって、「湯治だ!湯治だ!」ということになった。まあ1週間ばかり滞在したからといって病状が良くなるわけでないことは重々承知していたのだけど、湯治客の滞在する民宿で(山口荘)こたつに入りながらのんびり本を読む日々は(モーパッサン三昧)よい気休めとなり疲れもとれた。湯畑の畔にある共同浴場まで道のり、ミカコが通った町営プール(確か同じ建物にザスパ草津の事務所があった)、土産物屋で買ったガーゼのバスタオル、そんなあれこれがみんな懐かしい。

 気力充実して東京に帰ってくると、店のはす向かいでブックオフがオープンすることが決まっていた。知らずに出かけられたのは幸運だったけれど、でもこれ以後ほうろうは否応なく新しい段階に突入することになる。結果現れたもっともよい面は不忍ブックストリート一箱古本市。気の置けない仲間が増え、地域とのつながりもこれまで以上に強まった。悪い面は言うまでもなく財政状況の逼迫。結局、あれ以来長い休暇は取れておらず、そういう意味でも草津での湯治は印象深いのだろうな。

(宮地)


書き出しに支配されて、使い慣れない文体になってしまいました(笑)