ベースボール/この完璧なるもの

ベースボール この完璧なるもの
 松井秀喜のワールド・シリーズMVPを祝して、一冊の本を出しました。タイトルは『ベースボール/この完璧なるもの』。アメリカの女性カメラマン、ダニエル・ワイルがとらえた、今から20年ほど前のメジャーリーグ。野球というスポーツの美しさが、どの一枚からも、溢れんばかりにこぼれ落ちてきます。 

 また、デイヴッド・ハルバースタムの序文、写真に添えられたピーター・リッチモンドの文章も、ともに素晴らしいものです。野球好きならぜひ一読を。お値段はこちら

 以下、「スタジアム」の章の最後の方を、少しだけ引用します。訳は片岡義男

(略)初めて球場に入ってフィールドを見渡したときの印象は、その後のいかなることによっても傷つけられることなく、そのままに維持される。それ以後の年月のなかでホーム・チームがいかに凋落しようとも、球場の周辺がどれだけ荒廃しようとも、初めて球場にいったときの感覚は、鈍ったり薄れたりすることなく、そのまま記憶のなかに生きていく。ヤンキー・スタジアムで何百回となく試合を見て午後を過ごした子供の日々を持つ人にも、ヤンキー・スタジアムへ最初にいった日というものがある。ダウンタウンへ向かう急行電車が、音を立てて揺れながら高架鉄道の上を走っていく。試合が終わって人々が帰っていったあとの、最後の何人かの乗客を、電車は161番ストリートの駅で乗せる。その電車がトンネルの暗闇のなかへ沈み込んでいく直前、誰もいない外野の緑の一角が、窓の外に閃くように見える。
 ひとつだけ確かなことは、次にヤンキー・スタジアムへいったときにも、電車がトンネルから外の光のなかへ出たとき、スタジアムの建物はあの圧倒的な姿で、そこにあったという事実だ。
 スタジアムはいつだってそこにあって健在だった。いまでもそうだ。ベースボールというゲーム、そしてその試合にかかわる記憶のすべてが、球場のなかに守られている。


 昨日、松井の打球が吸い込まれたスタジアムはここで書かれたヤンキー・スタジアムと同じではありませんが、でもこれから先、末長く、あの場所の記憶として残っていくのでしょう。

(宮地)