一週間後は、カタリココ
大竹昭子さんが精力的に続けられているトークと朗読の会カタリココ。来週の水曜日は、いよいよ古書ほうろうでの開催です。ゲストは作家の黒川創さん。現在30名の方にご予約をいただいていますが、まだ多少は余裕があります。お時間、ご興味ございましたら、ぜひお出でください。ご予約は、下記のリンク先から。
http://www.yanesen.net/horo/info/detail.php?id=9
以下、「どうしようかなあ」と迷ってらっしゃる方のために、当日朗読される予定の小説『もどろき』の出だし部分を、ちょっとだけ引用します。黒川さんの文章のリズム、ことばの使い方などを感じ取っていただければ、と思います。
偏愛の対象というのは人それぞれだろうけれど、祖父にとっては、自転車がそれだった。もちろん彼は、妻より自転車を愛していた。
祖父は米屋だった。
自転車は、だから、毎日の配達につかう商売道具である。
ふだんの生活の足でもある。
大腿筋の衰えを防ぎつつ、交通費の出費を抑制する装置でもあった。
大阪にも、滋賀にも、ときには和歌山や福井でも。
京都の家から、ひとりで自転車にまたがって、彼は出かけていた。
「自転車で行けるがな。」
祖父は、ちょっと顔をしかめて、よく言った。
祖母といっしょに外出するのは、汽車賃が、しかも二人分かかると言って、いやがった。しぶちん、なのである。土地のことばで、けちんぼのことを、こう言っている。
独立した精神の持ち主、でもあったのではないかと思う。だけど、ごくふつうの暮らしのなかでは、独立とか、精神とか、いちいちそんなことは言わないわけで、近所の年寄りたちは、しぶちん、とか、へんくつ、とか、ただそういうふうに呼んだのである。
ふつう、人は愛についてなど考えない。偏愛についても、そうである。愛というものについて考えるのは、愛についての知識人であって、ふつうの人は愛そのものを、もしくは、愛そのものの破滅を生きている。
自転車は自転車、女房は女房なのだ。
また、先日も紹介しましたが、黒川さんが編集に携わっている京都の出版社、編集グループ
http://d.hatena.ne.jp/koshohoro/20091008/p1
(宮地)