『ベスト・オブ・谷根千 町のアーカイヴス』

ベスト・オブ・谷根千―町のアーカイヴス
 先月末の発売以来、この界隈はもとより神保町辺りでも話題沸騰の『ベスト・オブ・谷根千』(亜紀書房)、ほうろうにも入荷しています。「激売れ!」のオイリさんとこに比べたらおとなしいものですが、それでも2日と置かず売れていきますから、うちで扱う新刊書籍として破格の動き。編集:河上進a.k.a.南陀楼綾繁)、装丁・本文デザイン:板谷成雄、印刷:トライという、完全に地元の、『谷根千』をよく知る人たちの手でつくられたというのも特筆すべきことで、愛情溢れる素晴らしい本に仕上がりました。ぜひともたくさんの方に買っていただきたいです。
 この本の特徴については河上さんが次のように述べられているわけですが、

谷根千』創刊号〜80号を対象に、膨大な記事から絞りに絞り込み、全体を「まち」「ひと」「わたしたち」の三章に分けました。また、この雑誌らしさを伝えるために、特集を数本、版面そのままで復刻しています。小さなコラム、活動報告、読者からのお便りも精選して収録。さらに、雑誌本体へのアクセスを便利にするために、年表と総目次も用意しました。この地域に関心のある方だけでなく、町の暮らしや文化史、タウン誌・ミニコミ誌に興味を持つ方など、幅広い読者に向けてのベスト本となりました。

本当に行き届いた編集が施されています。「ベスト・オブ」なんて冠がついていると、往々にして「とりあえずこれ1冊でOK」みたいな受け取り方をされがちですが、決してそうではなく、連綿と続いてきた『谷根千』の足跡を辿るための道しるべ、というのがこの本のもっとも重要な側面なのだなあ、と感じ入りました。だから、もちろんこれをきっかけにはじめて『谷根千』を知るという人もたくさんいてほしいですが、「これまでもずっと読んできた」という人にもぜひ手に取っていただきたいですね。「全部持ってるから」こそ必要なのです。


 具体的な内容にもちょっとだけ触れましょうか。「絞りに絞り込んだ」ものだけにどの記事も読み応えがありますが、ぼくのお気に入りはまず「㊙仲居日記」。もう何回目だろうというぐらい、これまでもなぜかよく目にしてきたものですが、今回久しぶりに読んでもやっぱりおかしい。同様のインパクトがあった成瀬巳喜男コキオロシ談義(55号)は外されていますが、代わりにその記事への反論が「成瀬映画をめぐる話」としてまとめられていたのもうれしい(稲垣書店の中山さんからのお手紙もちゃんと載ってます)。この界隈の古本屋ということでは絶対に抜かすわけにいかない鶉屋書店の記事も奥様による思い出話が収録されていますし、取り壊しの直前に本を引き取りにいった浜松学生寮の在りし日の探訪記にはしんみりとさせられます。と、挙げていけばキリがないのですが、読者ひとりひとりにそれぞれ思い入れのある記事があって、もちろんそのすべてはここに載ってはいないのだけど、これを読み返すことでそんなあれこれを思い出すのでしょう(って、さっきと言ってること同じですね)。ぼく個人としては「わたしたち」の章にやや思いが傾いていて、そういった意味では3人のあとがき(「おわりに」)、とくに仰木さんのものは心に残りました。
 

 さて、ここからは個人的な思い出を少々。

 この本には「やねせんこぼれ話」と題した4人のスタッフそれぞれの書き下ろしコラムも全部で8本載っています。おもしろい!ということで言えば、森さんによる「ヤマサキという人」が圧巻で、山崎さんを知る人なら誰しも「うんうん」と頷くかたわら、森さんの文章の上手さにあらためて惚れ惚れとするわけですが、昔の記憶を甦らせてくれたということでは、サトちゃん(川原さん)の「日医大のそばの事務所」という一文が、掲載された写真とも相まって印象的でした。

 あの事務所、ぼく好きだったんですよね。普通の昔ながらの古い民家でしたけど、自分が生まれてからずっと集合住宅だったこともあって、前の路地や近所の八百屋さんなども含めたあの一角すべてに、いつも惹かれるものを感じていました。それが今回のサトちゃんの文章では微に入り細に入り再現されていて、あそこを訪れたときのあれこれを久しぶりに思い出した、というわけです。
 たとえば、この地で古本屋をはじめてまだ間もなかった10数年前、開店のご挨拶に伺ったときのこと。出迎えてくださったのは山崎さんで、こんど古本屋をはじめたことや『谷根千』を置きたいと思っていることなどを話したはずです。でも一番覚えているのは山崎さんに2階の倉庫(のようなところ)へ連れて行かれ「開店祝いに何でも好きな本持ってって」と言われたことで、今ならもう驚かないですけど、そのときはびっくりしましたねえ。普通固辞するところを「じゃあ」とか言って、しかも『カムイ伝』全巻をいただいてきたぼくも相当どうかしているのですが。サトちゃんの文を読むと、そこが子供部屋で、そこにあったマンガが彼ら彼女らの読んできたものであることがわかって、いまさらながらに冷や汗が出ます。

 あと、さらに遡ること7年前、はじめてあの事務所を訪れたときのことも。『谷根千』18号(特集:渡辺治右衛門て誰だ)の確連房通信によるとそれは1988年の11月29日で、森さんがこんな風に記しています。

”しこたま世界を知る会”の早大生二人来る。「最近、ピースボートに乗るくらいでも就職あやうくなるんだって」「ワセダって今慶応と変わらないよな」危うしわが母校!

「なに喋ってんだか」と、まったく恥ずかしさに身のすくむ思いですが、それはまあさておき。なんだかあやしげな「しこたま世界を知る会」というのは、べ平連の流れを汲む予備校講師が主宰するサークルで、当時ぼくはそこにどっぷり浸かっておりました。イベントを催したり、デモ行進したり、8月6日に広島に行ったり、あともちろんミニコミもつくっていて、このとき谷根千工房を訪れたのはその取材。一緒に行った相棒が全国タウン誌大賞がらみで『谷根千』のことを知ったのがたぶんきっかけで、ちょうどそのときぼくたちも「東京の山の手と下町」みたいな特集を組んでいたんじゃなかったかなあ。本郷台地の端っこの山あり谷ありの地形に興味を持ちはじめ、それを実感するために茗荷谷から日暮里あたりまで歩いて拙い文章にしたりもしました*1。あの日、具体的にどんな話を伺ったのかは最早まるで思い出せませんが、いま以上に生意気で失礼でバカだったに違いないぼくを、いま同様あたたかく遇してくださったことは忘れられないです。
 就職がどうのとか言ったらしいこの二人は、結局その後大学をヨコに出て、ひとりは大学受験のための小さな予備校を、もうひとりはご存知のとおり古本屋をやっています。あれからちょうど20年、そのこと自体はありふれていますが、その間ずっと『谷根千』が出続けてきたということには、やはり感慨を覚えずにはいられません。

(宮地)

*1:この頃はじめて読んだ『モダン都市東京』(海野弘)の影響が少なからずあったはず。あと小林信彦の『世間知らず』も。