酔っぱらい二夜

 木曜日、お招きいただき逗子のN邸へ。
 N氏お薦め鎌倉は近代美術館で開催中の「岡村桂三郎展」と、たまたま前夜新聞で見つけた鎌倉文学館の「吉田秀和 音楽を言葉に」をはしごしてから。
 岡村桂三郎は圧巻であった。一目に収まりきらないものを観ようとする時、人はどうするか。全貌を確かめようと、後ろにさがっては壁にぶつかる、を繰り返したあげく、最接近して作品の極一部を凝視する、という不可解な鑑賞の仕方を、宮地も私もしていた。しかもただでさえ並外れた大きさの屏風仕立てなのに、そこからも彼の描く架空の動物たちははみ出していた。少ない色使いで描かれた絵の中のいくつかの「目」が薄暗い展示会場で、こちらを見ていた。売店に置かれていた雑誌で彼の過去の作品が何点か掲載されていたが、作風がかなり変化しており、恐らく今のものが自分は好きだろうと思った。
 吉田秀和の方は宮地のお伴だったが、私も楽しんだ。何かに寄せられた文章に、中原中也が「言葉」に対してデリケートで、私は滅多なことは口にしないようにしていた、というようなことが書かれていた。それと、宮地が「昔から変わっていないんだな。」と云っていた「髪型」が気になった。偉人さん型だ。

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2008/okamura/index.html
http://www.kamakurabungaku.com/

 平日なのに修学旅行生や観光客でごった返す鎌倉を後にして、夕方いよいよN邸へ。
 Nさんご夫妻が作ってくださる肴はどれも言い様のないくらいに美味く、酒呑みにはたまらない。後になって思い出しては薄ら笑いを浮かべて反芻しているのだが、自分が作るものとは時間のかけ方が圧倒的に違うなぁ、と思った。煮込む時間が、とかそういうことだけはなく、漬ける、干す、熟成させる、そうしたうえでの火の通し方、というのかなぁ。いろいろな時間を使い分けながら、真っ向勝負で、決める、みたいなカッコよさがあるのだ。
 なので舌を巻きながら大いに酔っぱらった。ごちそうさまでした。


 金曜日は、南陀楼綾繁さんと徳島高義さんのトークを聴きに下北沢の気流舎さんhttp://www.kiryuusha.com/まで。初めての気流舎さんは「対抗文化専門古書」と頭につくので、なんだか叱られそうで緊張していたが、木をふんだんに使った造りがとても居心地のよい空間。よなよなエールも置いてあり、一気に気持ちがほぐれた。フローリング、と云っていいのかわからないが、床には角材を輪切りにしたものが敷き詰めてあったところにお店の背骨を感じた。
 徳島さんにはお店に入って来られたときから一目で好印象を抱いたのだが、本番でもとてもわかり易く文壇音痴の私でものめり込めるように話してくださる方だった。お歳は私の父とほぼ同じだというのに、ご自分でもこれまで手掛けられた何冊もの本をリュックに詰めて背負って来られており(なにしろ『酔っぱらい読本』だけでも全7巻なのだ)、しかも予め付箋までして客に回してくださったる姿を拝見しながら、ずっと私の頭には「真摯」とか「謙虚」という言葉が浮かんでいた。ご本人は飄然と語られるのだが、『酔っぱらい読本』の編集をされた当時の吉行淳之介佐々木侃司結城昌治など、かかわった人たちの昂りが伝わり、端々に徳島さんの気概を感じた。
 途中からトイレを我慢しながら冷や汗をかきつつ、けれどあっという間に時間が過ぎていった。
 徳島高義全仕事展、みたいなことを是非やるべきだよねぇ、と宮地と話しながら家路についた。ありがたく、もったいないくらいのトークだった。

(ミカコ)