『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』


 で、これがその本。つい先日の8月8日、植草さんが100回目の誕生日を迎えたことを祝ってつくられたムックです。版元はもちろん晶文社で、表紙はテリー・ジョンスン。執筆陣も恩田陸から安田謙一までヴァラエティに富んだ顔ぶれ。あと特筆すべきは古本関係者?がたくさん含まれていることで、浅生ハルミン岡崎武志荻原魚雷といった、ほうろうにいらしたことがあるみなさんも筆を揮われています。付録の植草さんの肉声CDもうれしい贈り物で、ファンにとってはぜひ手元に置いておきたい1冊なのですが、そのなかの千野帽子という方の書かれた文章が、昨日のトークのテーマと密接な関係のあるのでした。タイトルは、「ボーイズトークのしかた ― 男子カジュアル文体圏・植草甚一以後。」。

 和田誠の「雪国・またはノーベル賞をもらいましょう」からの引用ではじまるこのエッセイでは、「昭和軽薄体(群)と並んで諸メディアに流通していた(そしていまもある種のおもに男子の書き手が選択する)もうひとつの文体(群)は」「遡っていくと植草甚一庄司薫に行き着く」という説が披露されるわけですが、そのなかでこんなことが書かれているんですね。

野崎孝が一九六四年、サリンジャーライ麦畑でつかまえて』の訳で植草甚一の文体を借りたという説を聞いたことがあります。

 どこで(誰に)聞いたのかを知りたいところですが、まあそれはさておき、話はこのあと、栗原さんも『<盗作>の文学史』のなかで検証されていた、福田章二『喪失』の初稿問題に続いていきます。また、ほかにも

晶文社植草甚一スクラップブック》全四一巻における解説者中の「ぼく」率の高さにも注目したいところです。

といった、思わずニヤリとしてしまうネタが満載。昨日のトークを楽しまれた方はぜひこちらも。


 というわけで読みどころいっぱいのこの『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』。「委託品」のカテゴリーに含まれていることからもおわかりのように、古書ほうろうでも絶賛発売中です。読者投稿欄には、植草さんと庄司薫の影響が未消化のまま顕われている(ような気がしないでもない)ぼくの文章も載ってますので、よろしければお買い求めください。ぼくのだけならこちら晶文社の特設ページでも読めますが(記念のTシャツや缶バッチも販売中)、でも買ってもらえるとうれしいなあ。
(宮地)