はじめて山本昌を見た日

 帰宅して、YouTubeニコニコ動画山本昌200勝の瞬間の映像を見る。本当は生中継で観たかったのだけど今日は店番。でも関東地区での地上波の放送はなかったようだから、まあちょうど良かったです。仕事中、ネットで途中経過を確認するうち少しずつ興奮してきて、8回裏の昌さんの打席のあたりからは、中日ドラゴンズ応援実況板にかぶりつきに。いやあ、本当にうれしい。ドラゴンズ・ファンなら誰だってそうかもしれないけど、ぼくにとっても山本昌は特別な存在。高校卒業後東京に出てきたこともあって、いまや昌さんだけが名古屋にいた頃からの選手ですしね。

 たしか高校生のときだと思うけど、珍しくウエスタンリーグの試合がナイターで組まれたことがありました。中日スポーツでそのことを知ったぼくと友人は、すぐに「行こう行こう」と意気投合してナゴヤ球場に出かけたのですが、あれはすぐその晩のことだったのか、それとも数日後だったのか。どうも思い出せません。それどころか、対戦相手も忘れちゃってる始末。あと、入場無料だったような気もするけど、それもまた別の日の、シーズン終了間際にままある消化試合と混同しているのかもしれません。ともかくほとんど何も憶えていないのですよ。背中に34番をつけたサウスポーのこと以外は。

 こんなふうに書くと、その日、山本昌広投手が素晴らしいピッチングを見せたようだけど、実はそれすらもあやふやで、それこそ「ブルペンで投げていただけで、試合では投げなかったんだよ」と言われたら、信じてしままいそうなほどなのですが、でも友人にこう話したことだけははっきり憶えています。「おい、見てみろよ。34番だよ。小松の後継だよ。左だけど」。父親が能登の出身だったこともあって、ぼくは当時のエース小松辰雄のことを、星稜高校の頃から応援していました。だからドラフトでドラゴンズに指名されたときは、ほんと天にも昇る気持ちで。そんな小松が付けていた34番を引き継いだ男を、しかも二軍の試合で生で見たということで、それ以来ぼくはすっかり山本投手のファンになったのです。ピッチングに惚れ込んで、というわけじゃないのは申し訳ないけれど、ある選手を好きになるきっかけなんて、案外そんなもののような気もします。*1

 それから数年後、優勝した1988年の秋、彗星のように現れて以後のことについては、たくさんの人にそれぞれの思い出があるでのしょう。ただぼくは東京に居続けていることもあって、それほど昌さんの投げる試合を観に行けてないんですよね。最後に見たのは、一昨年の4月6日の横浜スタジアム。三塁側の前から2列目の素晴らしい席だったのですが、この年からここの球場は内野席のネットを撤去していたこともあって、心ゆくまで声援を送れました。その日の昌さんは決して調子がいいという感じではなかったのですが、ちゃんと試合をつくって、最後は岩瀬が締めました。隣の席に座っていた老夫婦が西尾の人で、あそこは岩瀬の地元ですからね、とても喜んでらしたのでよく憶えてます。あと、何年前だったか、古い友人から久しぶりにメールが来て何だろうと思ったら「さっき、成城学園前山本昌を見た。びっくりして緊張して、声はかけられなかった」って書いてあって。これなんか別に自分の体験でもなんでもないのだけど、でもぼくのなかではとても大事なエピソードです。

 以上、ごくごく私的な山本昌の思い出でした。

(宮地)

*1:翌日の中日スポーツには小松のコメントも載っていたのですが、その中で彼が「まさか成績で抜かれるとは思わなかった」と語っているのが印象的でした。