面白すぎる金庸、次は『書剣恩仇録』

 日付が変わった午前4時ちょっと前『秘曲 笑傲江湖』全7巻読了。こんなに寸暇を惜しんで小説を読み継いだのはいつ以来だろう、というくらいこればっかり読んでいたのですが、でもちょうど一週間かかりました。気がついたら朝の7時という日もあったし、実感としては3、4日なのだけど、やっぱり仕事しながらだとこんなもんですか。確かに2、30頁読んだところでバタンキューという日もありました。まあともかく面白いので、みなさまもぜひ。水滸伝的世界に馴染みがある(抵抗がない)人なら、間違いなくハマります。はじめは武術の技の名前とかが煩わしいかもしれませんが、ふと気付くとそのあたりは読み飛ばしていることでしょう。第7巻の巻末には岡崎由美田中芳樹の対談が載っているのですが、そこで田中さんが武侠小説についてうまいこと言ってらっしゃるので、引用しておきます。

 面白かったのは、武侠小説というのはなんぞやと、八〇になる母親に聞かれまして、僕は一瞬迷ったんですが、「中国の立川文庫」と言ったら一発で分かってもらえました(笑)。
 イメージとして、ようするに猿飛佐助、霧隠才蔵柳生十兵衛みたいなものだと。ですから金庸さんは”一人立川文庫”と申しますか(笑)。


 あと、金庸さんご本人による「あとがき」にも興味深い一文が。こういうの読むとかえって敬遠してしまう人もいるかもしれないけど。

 私が武侠小説を書くのは、ほとんどの小説と同じように、人間性を描きたいからである。『笑傲江湖』を執筆していた数年もの間は、中国の文化大革命における権力闘争が、凄まじかった時期であった。実権派と造反派が権力闘争のために、極端な手段も辞さず、人間性の汚らわしさが集中して露見していた。私は毎日「明報」の社説を書いていて、政治の下劣な行為に対し、強烈な反感を抱いていたので、ごく自然にそれが、毎日少しずつ書いている武侠小説の中に、反映されていった。この小説は、わざと文革を当てこすっているわけではなく、小説の中の幾人かの登場人物を通して、中国に三千年あまり続いてきた、政治生活における普遍的な現象を若干描きたかったにすぎない。

 というようなことを仰っているのですが、読んでいる間はそんなことこれっぽっちも感じませんから、ご心配なく。


 さて、こんな面白い作家の本が、まだ1ダースあまりも残っているなんて、なんて幸せなことでしょう。とりあえず次は最初の作品である『書剣恩仇録』に取りかかるつもり。『笑傲江湖』が「描きたかったのは、人間における普遍的な性格であり、政治生活の中に常時見られる現象なので、本書には歴史背景がない」*1のに対し、こちらは岡崎さんの解説によるとこんな作品なのだとか。

 また、金庸武侠小説は、歴史と虚構を巧みに織り交ぜることでも知られています。本書の時代背景は、清の乾隆年間。乾隆帝はもちろん実在の人物で、都北京から江南へ幾度も行幸したことや、回部(現ウイグル自治区)へ兵を出したことも史実です。本書はそれを下敷きにしつつ、巷間に伝わる乾隆帝出生秘話を取り入れて、『影武者徳川家康』ばりの設定を行い、そこに反清復明をうたう秘密結社の若き頭領、という虚構の主人公を配しました。

影武者徳川家康』ばりの設定ですって!ああ、なんて楽しそうな。乾隆帝といえば、浅田次郎の『蒼穹の昴』でもお馴染み。カスティリオーネも登場するのかしら、なんて考えると、期待はいやが上にも高まるのでありました。

(宮地)

*1:前述「あとがき」より