『真説日本野球史』昭和篇その二/大和球士

 中京大学附属中京高校、優勝おめでとうございます。名古屋の学校が夏の選手権を制するのをようやく目にすることができて、とてもうれしいです。まさかドラゴンズの日本一より後になるとは思ってもいませんでしたが、でもそれを成し遂げたのが中京大中京だというのは「やはり」であり「さすが」*1。というわけで、今日はそのお祝いをかねて、前身である中京商業の黄金期について触れているこの本を出してみました。まるで今日という日の訪れを予知していたかのように、数日前に持ち込まれた一冊です(値段など詳細はこちらで)。

 今はどうか知りませんが、少なくともぼくが野球をはじめた1970年代の半ば頃までは、『野球入門』のような本を開いて高校野球の頁を見ると、必ず「中京商業不滅の三連覇」と「明石中学との延長25回の死闘」の話がセットで載っていました。そして名古屋の野球少年たちはそういう話を読むなり聞くなりして、あのオールドスタイルのユニフォームにあこがれを抱いていったのです*2。これはその頃の自分が「こういう本があったらなあ」と思い描いていたまさにそのものの本で*3昭和8年から11年までの日本の野球界のエピソードが年代順に語られていきます。前半部分のハイライトはもちろん「中京ー明石、延長二十五回戦の全記録」。

一回表 明石、山田二ー三後に四球、横内の三前バントは、三塁手よく前進して、山田を二封、楠本の三塁右を抜こうとする強ゴロも三塁手福谷好捕して横内を二封、楠本は補逸に一挙三進、中田四球で二死ながら走者三、一塁になったが、松下二ゴロ。

二十五回裏 前田死球、野口の三前送りバント、投手、三塁手ゆずり合って内野安打となる。鬼頭の投前送りバント、投手三塁へ投げて間に合わず、無死満塁になる。大野木の二ゴロを嘉藤、本塁へ送ったが、送球やや高く、捕手ジャンプして捕球する間に、前田本塁にセーフとなる。


 はじまりと終わりだけ引用してみましたが、これが表裏合わせて50回あるわけで、結果を知ったうえで読んでなお、胸の高鳴りは押さえられません。今回これを読むまでまで知らなかったこともたくさんあって、たとえば中京は8回までノーヒットに押さえられていて、18回まででも2本しかヒットを打てなかったそうです。そしてそのことと無関係ではあり得ないのですが、明石の中田投手が全部で247球しか投げていないというのには本当に驚きました。中京の吉田投手が336球投げていることからもわかるようにチャンスは明石の方が多く、でもそれを堅い守りで切り抜け切り抜け、そして最後に数少ないチャンスをものにした中京が勝ったというゲーム。今日の決勝戦もそうでしたが、シーソーのようにゆらゆらと揺れる試合の流れをいかに自分たちに引き寄せられるか、というのが野球というスポーツの神髄なのでしょうね。

 しかしこの時代の選手の頑強さにはびっくりさせられます。先ほども書きましたが両投手合わせて600球近く投げ、先発した選手はほぼ全員10回ずつ打席に立ち、さらに後述される「秘話」によると、明石中の選手たちに至っては

試合の二時間ほど前、私たちはいつもの通り、おかゆと生卵二つの昼食をとった。野球部長の竹山九一先生が、腹いっぱいでは運動神経が鈍ると考えられたからで、延長になってからはヤカンにはいった砂糖水だけであった。

という状況だったそう。今こんなことをしたら、ほとんどの選手が文字通り倒れちゃう気がしますが。でも当時にしてもこの試合が特別なものだったことは間違いないようで、そのあたりは飛田穂洲朝日新聞に書いた試合評を孫引きしますので、そちらでどうぞ。

(前略)
 かくして、大会延長記録の十九回を破り、選手はいよいよ気負いつつ、牢固として抜けざる鉄城を攻め合った。しかも、この壮烈無比なる投手戦に魅せられた全観衆は、選手よりも早く疲労を感じ、茫然沈黙を守るという状態であった。
(中略)
 二十有五回は、本邦野球史上のレコードであるが、それよりも絶賞せねばならぬことは、試合が吉田、中田両投手によって最後まで行われたことであって、かくの如きは、恐らく日米球界に前代未聞のことであろう。まことに鉄腕以上というべく、勝敗の如何を問う必要はない。何れも負けさせたくない試合であった。試合は両投手があまりにも優秀であったため、打力がそれにともなわず、自然、得点することができなかった。安打、明石に八、中京には七、四球は、吉田十、中田八という少数は、投手の異常さをうかがうに足るべく、けんらんたる投手戦であった。この歴史的試合を眺めて、ただ感嘆の声を放つのみ、多くを語り得ない。よろこびにひたったファンとともに、心から選手に感謝したい―


 今日の試合もこういう文章で読んでみたいものです。

 なんだかたくさん引用して思いがけず長くなってしまいましたが、この本には他にも「水原のリンゴ事件」や「沢村がプロ野球初の無安打無得点試合」など、六大学野球全盛〜プロ野球黎明期を彩る有名な話があれこれ載っていて、とても楽しめます。最後の方には「夏目漱石と野球」なる郁文館野球部についての地元ネタもありますし、この界隈の野球好きのみなさん、どなたかいかがですか。

(宮地)

*1:このあたりの感覚は名古屋の人だったらわかっていただけると思います。

*2:なのでユニフォームが変わっちゃったのはちょっと残念なのですが

*3:奥付を見ると1977年初版なので、よく探せば見つけられたのでしょうけど、でもまあ小学生ですからねえ